行事風景
やすらぎの集いin聖マリア病院ルルド
爽やかな秋晴れの19日土曜日に、聖マリア病院のルルドの広場でやすらぎの集いがありました。
「やすらぎの集い」とは、ご病気で療養中の方々とご家族、ご友人の皆さんのこころとからだの安らぎを願って一緒に祈る集いで、今年で18年目になるそうです。
久留米教会の子ども聖歌隊『チェチリア聖歌隊』が聖歌を歌ってくれ、青空に可愛らしく透き通る様な声が響きわたりました。みなさん、天使の歌声だったねと喜んでおられました。
患者さんだけでなく、病院関係者、学生、久留米教会の参列者が、こころとからだの安らぎを頂きました。
8週間程の入院生活を終え、自宅療養しています。
この間、こうして教会のホームページの記事を更新できているのも、教会の友人たちの協力があってのことです。
彼女たちから、こんなことがあったよ、と写真と文章が送られてきたり、気にかけてくださる方々が優しい励ましのメッセージを下さったり、どれだけ心のやすらぎを得られたことか。
入院生活というのは、本当に心細く、時に滅入ることもあります。
携帯のメールでもいいのです。
身近にご病気やケガで入院している方がいらっしゃる方は、その方に「想ってるよ、祈ってるよ」とメッセージを伝えてください。
まず、自分自身を平安に保ちなさい。そうすれば、他人にも平和を分け与えることができる。
平和を愛する人は、全てを善に変える。
心を平和に保つ人は誰をも疑わないが、しかし不平を言い激昂しやすい人は、いろいろな邪推に振り回され、自分も落ち着かないばかりか、他人をも苛立たせる。
あなたはまず、自分の霊魂について真剣でありなさい。そうすれば自然に、隣人のことについても正しく、熱心に注意できるだろう。
キリストを生きる 第二巻 第三章 1
トマス•ア•ケンピス
パパ様からのメッセージ
久留米教会の金木犀も美しく咲き、心地よい秋の香りを放つ季節となりました。
毎年10月になると、サンパウロの出張販売があり、皆さんも楽しみにしていらっしゃいます。
わたしも必ず買い求めるのが、この2つのカレンダーです。
アッシジの美しい風景と、(イケメンの)パパ様のカレンダーです。
ちなみに、こちらは今年の。
月初の楽しみは、このカレンダーをめくった時に読むパパ様からの今月のメッセージです。
「神にすべてを委ねるとき、困難に対して正しい態度で、勇敢に向かい合うことができるようになります。」
フランシスコ教皇様は、SNSも積極的に活用されますので、わたしたちは毎日のようにパパ様からのメッセージを見聞きすることができます。
例えば、ツイッター。
他にも、最近のツイートで心に刺さり、手帳にメモしているのは、
“生活の中における守護の天使の存在は、単にわたしたちの歩みを支えるためだけではなく、どこに向かうべきかを示すためでもあるのです。”
“毎日、少なくとも5分、福音書を読んでみてください。生活がどう変化するかが分かるでしょう。”
カトリック中央協議会が邦訳しているパパ様のツイートです。
https://mobile.twitter.com/chuokyo_pope
ごミサで神父様のお話にハッとしたこと、人との会話で心に残ったこと、パパ様のメッセージなど、大切に記憶したい言葉は手帳にメモするようにしています。
時に読み返して、心の糧にしています。
島原教会への巡礼の旅
世界文化遺産に指定された原城跡と島原教会への巡礼旅行に行ってきました。
なんと、船旅です!
皆さん、秋の好天に恵まれたこともあり、とても楽しそうです。
とても印象的な聖堂です。
聖パウロ修道会のホームページに、詳細な説明があります。
https://www.pauline.or.jp/visitingchurches/200808_shimabara.php
島原市のホームページ
http://www.city.shimabara.lg.jp/page2911.html
この教会は、1612年~1658年の間に島原半島で殉教した数万人のキリシタンのために、日本26聖人殉教400周年と島原天草の乱から360年の節目にあたる1997年に献堂されました。
50名ほどの参加者があり、 豊かな祈りの旅となりました。
アバ•父への祈り
私事ですが、骨折して入院しています。
とても時間があるのに、以前のように祈りが出来なくなっていることに気付きました。
その理由として、「ストレスのない穏やかな生活」だからではないかという、贅沢な結論に達しました。
子どもの頃から、空を見上げると神様がそこにいらっしゃるのを感じます。
台風の後の空がとても美しく、祈りを捧げなければという気持ちで目覚めた10月最初の朝です。
犬養道子さんが、フランス語版共同訳の訳文を交えながら解きほぐされた『主の祈り』をご紹介します。
父よ。われらの父よ。天にいます。
あなたがどのような方であるかが、みなに知られますように。
みくにを来させてください。
あなたの御計画が全うされますように!
人の眼に見えない天のリアリティ(神の国)の中でもはやすでに全うされているあなたの御望み(計画)の似姿が、この地上にも実現されてゆきますように。
わたくしたちが必要とする糧をこんにち、お与えください。
あなたに対しわたくしたちがつくってしまった負債をおゆるしください。わたくしたちもまた、負債をわたくしたちに対してつくった人々をゆるしますから。
わたくしたちを誘惑にひきこまないでくださいませ。
わたくしたちを悪の力から解き放ってくださいませ。
わたくしたちもせいいっぱいつとめますから。
他人をゆるし、父であるあなたに信を置き、父よと呼びかけて、みくにの到来、成就を日々求めますから。
(このシリーズの本は既に廃盤となっており、Amazonなどで中古本をお探しになることになります。)
今週も皆様にとって素晴らしいお恵みの日々となりますように。
反対側から考える。
これは、わたしたちが普段見ている景色の反対側からの様子です。
日曜日の朝、教会に集まり、ミサ前に祈るわたしたち。
日々への感謝の祈り、病床の家族への祈り、死者の安息のための祈り、様々な気持ちで目を閉じ、手を合わせて祈る信徒の姿。
普段この様子を祭壇側から見ている司祭は、どう感じていらっしゃるのでしょうか。
侍者の子どもたちは何かを感じているでしょうか。
今日は、一枚の絵をご紹介します。
『十字架上のキリストが見たもの』
と題された、19世紀後半の画家、ジェイムズ•ティソの作品です。
この絵は、ニューヨークのブルックリン美術館にあります。
初めて見たときの衝撃は忘れられません。
十字架上のイエス様の絵は多く描かれていますし、磔刑のご像はよく目にしているわたしたちですが、イエス様が十字架上から見た景色を想像したことはあるでしょうか。
イエス様の足元にすがりつくマグダラのマリア、後ろに聖母マリア、若い使徒ヨハネ、馬に乗った祭司長たち、鎧姿のローマ兵
「絶望する者、嘆く者、見物しにきた者、、、愚かで救いがたい哀れな人間たち。
だからこそ救わねばならぬ人間たち。
彼らをイエスは慈愛の眼差しで見下ろしていたのだろうか。」
中野京子 著
名画の謎 旧約新約聖書篇(文春文庫)より
普段の生活の中で、相手の立場に立って物事を考えたり、人の気持ちを推し量ったりすることはわたしたちにも出来ます。
誰かのために祈るだけではなく、実際に目の前の家族や友人の立場から見た景色を想像して、優しい気持ちで接することができますように。