新着情報
07/15
その他
東京都民ではないのに、今回の都知事選挙はとても気になってニュースを追いかけていました。バイデン大統領の進退も気になるこの頃です。 今年は、世界中で政治の流れが大きく変わっています。というのも、EUの多くの地域で、極右とナショナリスト右派が躍進しているからです。 背景にあるのは、(2022年度は700万人がEU内に流入したという)移民問題、インフレ、環境重視の改革のコスト(環境保護を重要視する結果、電気代などが高騰)、などに人々が懸念を募らせているからだと言われています。 反移民、反環境規制、反EUといった主張を掲げる極右の躍進は、昨年11月のオランダの選挙で顕著に表れました。ドイツ、ハンガリーでも極右政権が誕生しています。先週のフランスの解散総選挙でも、結果及ばなかったものの、同様に極右政党が大躍進しました。 イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい。実を結ぶにつれて、祭壇を増し国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。(ホセア10・1)新共同訳 イスラエルは実を結ぶ茂ったぶどうの木。その実が多くなればなるほど、彼は祭壇を増やした。(同)フランシスコ会訳 イスラエルは多くの実を結ぶ...
07/14
今週のお知らせ
7月の第2日曜日は「船員の日」です。船員の仕事は、わたしたちの生活を支える大切な仕事ですが、それは船員たちの犠牲の上に成り立っています。船員たちとその家族のために祈りしましょう 聖マリア、海の星、船員たちの安全をお守りください。 あなたの保護と導きが彼らとともにありますように。 激しい波に直面する時、暗闇の中で航海を続ける時、 あなたの光で道を照らし、安らぎと勇気を与えてください。 彼らの家族と愛する人々に心をあわせ、祈ります。 彼らが大海原で活躍し、無事に帰って笑顔で家族や友人と再会できますように。 あなたの祝福が彼らとともにありますように。アーメン
07/14
今週のお知らせ
☆主任司祭より ・カトリック福岡司教区は、2027年7月16日に創立100周年を迎えます。創立100周年を迎えるにあたり、今年2024年の7月より準備期間として3年間を設け、宣教司牧方針の3つの柱の理解を深め、それに伴う活動を行っていきます。 1.「出向いて行く教会となる」 2.互いに支え合う「交わりの教会」となる 3.「未来に開かれた教会」となる また、教区創立100周年に向かう歩みを始めるにあたり、本日(14日)、全小教区で心を合わせ、この意向でミサが捧げられ、また、毎月、共同祈願とお祈りをいたします。 ※お祈りのカードは、3年間使用しますので、大切に保管ください。 ⭐︎日曜学校より ・本日(14日)9:00のミサ後、保護者会を行いますので、お集まりください。 ・21日(日)9:00ミサ後~15時、子どもたちの黙想会を行います。お弁当と水筒を持参してください。 ⭐︎筑後地区宣教司牧評議会より 筑後地区 サマーキャンプについて。27(土)~28日(日) 北九州地区の新田原教会にて、1泊2日の予定で行います。 対象は、小学校 4 年~大学生なお、小学校 4年生 以下は保護者の同伴が必要ですが、夜、一人で寝ることができれば同伴は不要です。 参加費・3000円、た...
07/13
福岡教区からのお知らせ
2024年7月14日(日)、教区100周年に向けての記念ミサから、2027年7月16日の教区創立100周年までの間、3年間かけてお祝いの時を祈りのうちに過ごすこととなりました。 福岡教区創立100周年・開催のミサにあたっての、アベイヤ司教様からのメッセージです。 兄弟姉妹の皆さん、今日、喜びをもって、2027年7月16日に記念する福岡教区創立100周年を祝うための歩みを始めます。一人ひとりにとって、信仰を深めるときとなり、福岡教区にとってこの地域に派遣された教会として福音を証し、宣べ伝える決意を新たにするときになるように祈ります。福岡教区宣教司牧方針のことばを借りて、わたしたちの教区としての歩みの始まりを思い起こしたいと思います。 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)との主のみことばを受け止めた聖フランシスコ・ザビエルは1549(天文18)年、日本に主の救いの福音を伝えました。1557(弘治3)年には博多にも聖堂が建てられたといわれています。 聖フランシスコ・ザビエルは日本宣教の保護者とされています。その後の450年の間、潜伏キリシタンの時期や明治初年の奇跡の再開を経て、イエス・キリストの福音...
07/08
教会行事
6/23にアベイヤ司教様をお迎えして、筑後地区の信徒を対象とした研修会が行われました。 研修会、というと一方的に「講話」のようなものを聞くだけ、の場合が多いかと思いますが、今回は司教様が二つのテーマで「さぁ、みなさんで今から分かち合ってください」という場面をくださいました。 教会では、「分かち合い」ということをよくします。 一般的には、「嬉しかったこと、喜ばしいことを分かち合う」こと(お祝いの会や贈り物)はしても、面と向かって人に「さぁ、分かち合いましょう」とは言う機会はあまりないのではないでしょうか。 (多分、ちょっと怪訝な顔をされます。。。) 東京大司教区のホームページに「分かち合いとは」というページがあり、そこにはこう書いてありました。 『分かち合いとは』知識や考察、正しいとか間違っているという判断ではなく、今ありのままの自分が感じている、心の動き(喜び、悲しみ、怒り、恐れなど)や、気づきを分かち合うこと互いに、ひたすら心をこめて聴き合うこと肯定も否定もせず、解決も試みず、教えたり、指図したり、勧めたりもせず、ただ傾聴すること 『分かち合いの実り』・「今、ここで」自分が感じてい...