いよいよ、聖年の年の聖週間が始まります。滑り込みで告解、赦しの秘蹟に与ることができ、心が晴れやかになった日曜日でした。
13日の受難の主日、300名を超す参列があった久留米教会のミサの様子です。
先日、福岡教区の各教会の広報担当者の集まりがあり、参加しました。
福岡県、佐賀県、熊本県で構成される福岡教区ですので、遠方から出席された方も多く、各教会の広報の取り組みについて発表がありました。
その中で、ある方が「誰のために広報をするのか。誰のための広報誌、ホームページなのかをちゃんと考えて運営しなければならない」という趣旨のことをおっしゃいました。
私自身の発表の際には、「久留米教会の広報誌は、信徒のために作っています。ホームページは、久留米教会やカトリックの信仰に興味を持って検索してくださる方に情報を発信するために、と運営しています」と発言しました。
ところが、先週の記事を読んだ方から、「難しくてややこしいことを書かれるので、ついていけません、、、。」という感想をいただいたのです。
あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。ともしびをともして、升の下に置く...
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