カテゴリ:秘跡
寄り添う人、ダミアン神父様
先日、ハンセン病の元患者さんたちとそのご家族の裁判のニュースが話題になっていました。
ダミアン神父様のことを思い出しました。
ダミアン神父様(1840~1889年)は、ベルギー出身の司祭で、ダミアンは修道名、
本名はヨゼフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)
ハワイ王国のモロカイ島において、当時誰も顧みなかったハンセン病患者たちのケアに志願して生涯を捧げ、
自らもハンセン病に感染し、48歳の若さで亡くなられました。
聖人で、記念日は5月10日です。
ハンセン病の患者のケアをしていて、不運にも感染されたのではありません。
患者たちともっと寄り添うためには、自らも病気にならなければ、
本当の意味で彼らの苦悩を知って寄り添うことはできないのではないか、
と考えてあえて感染することを望んだ、と言われています。
手や顔に病気の兆候が現れた時、神父様は初めて患者たちに向かって
「我々ライ患者は」と言うことができた、と喜んでいたそうです。
長崎の二十六殉教者記念像などで有名な、偉大な彫刻家、舟越保武さんの作品です。
ダミアン神父様がハンセン病患者となったあとのお姿です。
ただ私はこの病醜の顔に、恐ろしい程の気高い美しさが見えてならない。
このことは私の心の中だけのことであって、人には美しく見える筈(はず)がない。
それでも私は、これを作らずにはいられなかった。
私はこの像が私の作ったものの中で、いちばん気に入っている。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/16659/20150821/funakoshi-yasutake.htm
(彫刻の画像と舟越さんの言葉は、こちらの記事から使わせていただいています。)
聖霊の働き、プネウマ「神様の慈愛の息吹」が神父様に宿っていたのでしょう。
わたしたちが誰か助けや励ましを必要としている人に心を寄せるとき、
ダミアン神父様ほどの献身的な愛を注ぐことはできないかもしれません。
ですが、相手の立場に立ち、自分だったらどうしてほしいか、どう言ってほしいか、を
いつも考えて行動することはできます。
人にしてもらいたいと思うことを
人にもしなさい
ルカ 6・31~36
この言葉はわたしの座右の銘と思っている箇所ですが、同時に、
「人にしてほしくないことは、人にもしない」とも心がけています。
七つの秘跡:Part5
最終回は、叙階の秘跡についてです。
3/21に大名町教会において叙階式が執り行われ、船津亮太助祭が誕生しました。
久留米教会出身ということで、わたしたち久留米の信徒も大勢でお祝いのため参列させていただきました!
叙階、これは召しだされた本人はもちろん、わたしたち信徒にとっても大きな大きなお恵みと喜びです。
まずは、今回のように助祭となり、次に司祭へ叙階され、3つ目は司教叙階です。
昨日のごミサでは船津助祭として、とてもキリッとした様子でジュゼッペ神父様の横でお手伝いされていました。
助祭は、ミサと告解はできませんが、洗礼を授けること、結婚式、葬儀の司式は執り行えます。
21日の様子を、たくさんの写真とともにお伝えします。
福岡教区の司祭団の入場
親族席も設けられ、ご両親はやや緊張の面持ち。
まさに、息子が神様と結婚する式!の様でした。
久留米教会の聖歌隊のみなさんも、朝早くから練習を重ね、上の階から素晴らしい歌声を響かせてくれました。
中には、感極まって涙ぐみながら歌われていた方もいらしたそうです。
宮原司教様の按手によって、助祭に叙階されます。
最初に船津助祭に神学校を勧め、召命のきかっけを作ってくださった
浦川神父様によってストラを着せてもらう様子。
引き続きミサが行われ、久留米教会の可愛い3人によって奉納の儀式が。
船津助祭、最初のごミサです!
最初にご聖体を拝領されたのは、ご両親。感無量だったのではないでしょうか。
馬渡島から駆けつけられたおばあ様のお手製の紅白まんじゅうが振る舞われました!
ご家族のみなさま、本当におめでとうございます!!
結婚の秘跡の際にも書きましたが、叙階は教会共同体と受階者の絆を確固たるものにするので、
結婚の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
宮原司教様が司式の際におっしゃった言葉が心に響きました。
「仕えられる者ではなく、仕える者として来られたキリストの
真の弟子としてのお恵みをお与えくださいました。」
「信者にも、信者でない者にも良い知らせを伝えて行ってください。
福音に奉仕しなければなりません。」
船津助祭がごあいさつで言われました。
「日曜学校の子どもが言った、『助祭は神様へのあといっこ』という言葉が、
なるほど、と心に残っています。
神様に少し劣るものとして作られたわたしが、
少しでも神様に近づけるように奉仕していかなけれはならないと思っています。」
叙階の秘跡を受けた司教や司祭たちは、教会の頭であるキリストの代理者として行動します。
キリストの現存を現す司教、司祭という役務を果たすからといっても、
これら役務者が完全無欠の人になるということではなく、
人間的な弱さもかかえながら神の民の奉仕のために尽力するのです。
https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism107.php
本当に素晴らしいお恵みの一日でした。
召命を願って祈りましょう。
七つの秘跡:Part4
今回は、結婚の秘跡についてです。
3月10日に結婚式が執り行われました。
わたしも参列させていただきましたが、やはり教会の結婚式は素敵です。
最近は結婚式場に教会のようなチャペルが併設されている場合が多いので、
多くの方がキリスト教的な式を挙げられるのが普通のことになっていますね。
若い方々が教会での式に憧れるのは当然です。
だって、こんなに美しい!!
結婚は男女の交わりを強めるものであることから、叙階の秘跡とともに「交わりの秘跡」と呼ばれています。
結婚の秘跡を授けるのは、司祭ではなく夫婦同士です。
司祭は司式を執り行う立会人です。
式次第の後半に、誓約の儀の一連の流れがあり、誓いの言葉ののち、
指輪の祝福と交換が行われます。
新郎は司祭から新婦の指輪を取り、「この指輪は私たちの愛と忠実のしるしです」と唱えながら
新婦の左手の薬指にはめます。
続いて新婦も同様にして、新郎の左手の薬指に指輪をはめます。
指輪の円は継ぎ目なく続く永遠のシンボル。
それを神様の前で交換し、誓いをたてることで永遠の愛情を互いに約束するのです。
この、結婚指輪の風習は、カトリックが起源であることをご存知でしたか?
古くは、神様との誓いをたてた証しとして指に紐を結んだことに由来するそうです。
また、カトリック教会における結婚の秘跡は、どちらか一方だけが信者の場合、準秘跡とされています。
ヨーロッパなどのカトリック国では、信者が未信者と結婚することは原則としては認められておらず、
日本のように布教国である場合は認められています。
その場合、司祭が特別に許可をする『ディスペンザチオ』(ラテン語)=特別の免除が与えられます。
以前ご紹介した、ジブランの『預言者』に書かれている結婚について。
◆二人のあいだにも、自由な空間を置きなさい。
そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。
◆愛し合っていなさい。しかし、愛が足かせにならないように。
むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く海があるように。
◆おたがいの杯を満たし合いなさい。
しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。
◆一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。
しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。
◆一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。
深いですね。
ここで、宮﨑神父様からのお願いです。
教会で結婚式をしたいと思われている方は、
①日程を決める前に神父様に相談に行ってください
②必ず、お二人揃って数回の結婚講座に参加してください。
大輝さん、綾乃さん、ご結婚おめでとうございます!
七つの秘跡:part3
今回は、洗礼の秘跡についてです。
みなさんは、いつ洗礼を受けられましたか?幼児洗礼?大人になって?結婚を機に?
よく、ミサの際に思うのです。
ここにいらっしゃる信者さんは、どんなきっかけで受洗されたのだろう?
どのようなエピソード、ストーリーをお持ちなのだろう?と。
そう思われたことはありませんか?
わたしの場合について、今日は書いてみたいと思います。
洗礼、これは本当に素晴らしい秘跡です。
キリスト教の入信の秘跡と呼ばれるものには3つの秘跡があります。
洗礼、堅信、聖体の秘跡です。
この3つの入信の秘跡が、私たちキリストを信じる者の生活全体の土台となっているものです。
これは、わたしが27年前のご復活の際に洗礼を受けた時の写真です。
平成3年、まだ昭和の香りがしますね!
代母は、出身高校のシスターにお願いしました。
今よりもずっと、ヴェールを着用している方が多いですね。
当時は久留米教会のステンドグラスもシンプルなカラーのガラスです。
わたしの隣は亡くなった母です。今のわたしの年齢よりも若いです!
(間瀬先生もお若い!!)
この時、21歳でした。
20歳の時、骨肉腫を患いました。
苦しい抗がん剤の治療も、大手術も、長い入院生活も、義足での困難なリハビリも、全く苦ではありませんでした。
なぜだかうまく説明できないのですが、若さと、単純で楽天的な性格のわたしは、「退院したら新しい楽しみを見つけなければ!」と考えていました。
それよりも、新宿の都庁の隣の高層病院の窓から見える大都会の景色の中に、どれだけの病院があって、どれだけの病気の方が苦しい思いをされているのだろう、とよく思っていました。
そんなわたしを、東京の姉妹校のシスター方がよくお見舞いに来てくださり、
「あなたは神様の子です。神様の子に間違いない!」
と、何度も言ってくださり、退院と同時に洗礼を受けるのはごく当然の流れでした。
わたしが小さいころから信仰を持っていた母の喜びは大変なものだったようです。
ギリシア語で「洗礼を行う」という「バプティゼイン」という言葉は、「沈める」という意味をもっている言葉です。
洗礼は、「聖霊によって、新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗い」とも呼ばれるものです。
また、洗礼は、「照らし」とも呼ばれています。
洗礼を受けることによって、このキリストご自身のみことばを受け、照らされ、今度は洗礼を受けた人自身が、「光の子」となり、「世の光」となるのです。
参考
https://www.pauline.or.jp/catechism/catechism072.php
わたしは、本当に生まれ変わりました。
義足での新しい生活と、信者としての新しい人生が、同時に始まったのです。
あのような大きな病気をしてなければ、信者として生きる今のわたしはなかったと確信をもって言えます。
「世の光」「神のインフルエンサー」として生きる喜びは、秘跡としか言いようがありません。
数年前には、洗礼を受ける友人の代母となることもできました!
今年のご復活の前夜祭でも、久留米教会では数名の方が受洗されます。来週のごミサでは洗礼志願式が行われます。
新しく生まれ変わって「光の子」として歩まれる方々のために祈りましょう。
七つの秘跡:part2
教会は「病人を癒やす」という務めをとても大切にしています。
『病者の塗油の秘跡』は、7つの秘跡のうち、
病気に苦しむ人を励ますことを目指した秘跡です。
重病の人に授けられ、祝福された油を額と手に塗り
「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが聖霊の恵みであなたを助け、
罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」
と唱えられます。
「あなた方のうちに、病人がいるなら、その人は教会の長老たちを呼び、
主の名によって油を塗って祈ってもらうようにしなさい。
信仰による祈りは、病人を救います。
主はその人を立ち上がらせ、もしその人が罪を犯しているなら、その罪は赦されます。」
ヤコブの手紙5・14~15
これは、当時すでに行われていた病者の塗油のしきたりについて、
公式に説明した箇所とされています。(フランシスコ会訳聖書の注釈より)
イエス様は12人の使徒を2人ずつ宣教に遣わされます。
「そこで弟子たちは出ていき、人々に悔い改めるようにと宣べ伝え、
また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒やした。」
マルコ6・12~13
先日、久留米教会のある信者さんがお亡くなりになりました。
奥様にお話を伺いました。
意識はあるものの意思表示は出来ない状態で、食事も流動食しか食べられなかったのが、宮﨑神父さまがお見舞いに来てくださったあとじわじわと元気を取り戻し、固形物を自分でお箸を使って食べれるようになられたそうです。
最後は眠るように安らかで、主人なりにその時を選んで迎えたのだと思います、とおっしゃっていました。
「病人を見舞う」という奉仕をされている方々がいらっしゃいます。
宮﨑神父様と聖体奉仕者の研修を受けた4名の信者の方が月に数回、信者さんが入院されている病院や施設を訪問してお見舞いし、希望があればご聖体を授けられています。
わたしは東京の大学に行っていた二十歳の時に大病をし、
飛行機に乗ることも出来ない状況でしたので、そのまま東京の病院に入院しました。
家族は頻繁に久留米から来てくれましたが、それ以上にほぼ毎日のように入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくださったのは
出身高校の東京にある姉妹校の修道院のシスター方でした。
このルルドのお水はその時にいただいた(28年前!)ものです。
病気で心細い思いをしている信者にとって、
励ましと祈ってくださる方の存在はとても大きなお恵みです。
宮﨑神父様に届いたお手紙を少し抜粋してご紹介します。
(ご了解をいただいています。)
「4月に癌がわかり、リンパ節と脳に転移、ステージ4と言われました。
手術ですべて切除、転移も消え、脳腫瘍も消えました。
昨日、再発なし、抗がん剤も必要なし、今後は定期的に検査をするだけでよいと言われました。
おおいなる奇跡でしかありません。
しみじみと、人の祈りと宮﨑神父様が送ってくださったルルドの水の偉大さに感じ入っています。
神様はきっと患者本人の心も、人のために祈る人の心と祈りも、
何か力になろうとする人の心も行いも、すべてをご覧になっておられると思いました。」
病気で入院している方、
施設や自宅で療養をされていて教会に来られない方のために祈りましょう。