自分との和解

教会の花壇のお花や植木にも、お世話をしてくださっている方々が意味と愛を込めていらっしゃること、お気づきですか?

待降節の今、イエス様のご降誕を待つわたしたちのために、紫・白のシクラメンやピンクのお花、もみの木の若枝などで、その気持ちと季節を表してくださっています。

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11/19に広島で開催された第27回日韓司教交流会ミサ説教で、イ・ヨンフン司教(韓国司教協議会会長)がこのようにおっしゃいました。

今、私たちの最も重要な課題は、今回の会議のテーマのように、若い世代のために平和の架け橋を築くことです。
私たちがこの交流を続ける理由は、ただ、過去の記憶にとどまらず、未来を担う世代に和解と平和の遺産を委ね任せていくためなのです。
この架け橋は、形式的な宣言や文書では作ることはできません。
絶え間ない祈りと交流、実践と分かち合いを通してのみ、少しずつ、しかし、確実に作られなければならないのです。

https://www.cbcj.catholic.jp/2025/11/25/35551/

レオ14世は、11/28にトルコ北西部の都市イズニクで行われたニカイア公会議1700周年記念式典に出席されました。

バチカンによると、式典には東方正教会やプロテスタント教会など、様々な宗派の指導者も出席しました。
11世紀にカトリック教会と分裂した東方正教会。
双方の融和に向けた「歴史的な出来事」だと報道されていました。

カトリック信者に対しては信仰を結集し、「民族、国籍、宗教、あるいは個人の見解に関わらず」他者と団結するよう強く促した。
また信者に対し、異なるコミュニティー間の「対話と協力」を促進し、他者の中の人間性を認識するよう呼びかけた。

 

国同士、人同士の分断は、いつの時代も神様を悩ます問題でしょう。

日韓の交流、過去に分裂した各キリスト教会との連帯、こうした取り組みは信徒が知っておくべきことだと思います。

わたしたちは常に前を向いて進んでいるのです。

 

先日のサンパウロ出張販売で、素敵な本を見つけました。

 

 

ブレナン・マニングは、アルコール依存症を患いながらも、神の愛と自己への思索を深めた霊性の作家です。
若い頃はフランシスコ会司祭として働いていたのですが、50歳を前に退会しました。

この本の紹介文には次のように書かれています。

アルコール依存症を患う自分の弱さや失敗を、隠すことなく語ったことで知られたマニング。
本書が初の邦訳です。
神の前にある自分の貧しさを知り、ただ主に憐れみを乞う人に注がれる、神の大きく激しい愛を語ります。

わたしにとって、「心の貧しい人」というのは自分自身の大切なキーワードです。

ことに大事だと思うのは、自分自身との和解だからです。

イスラエル巡礼のとき、毎日毎日「わたしは心の貧しい人」だと思っていました。
それは、悲観的な意味合いでした。

そして今、「わたしは心の貧しい人」という感覚は、とても前向きなものとなっています。

いつも自分との和解に努め、少しずつ「神の前で自分の貧しさを知って憐れみを乞う」「神の前にためらいなく身を委ねる」ことができるようになってきたからです。

 

この本は、365日を聖書の言葉とともに黙想できるように構成されています。

クリスマスプレゼントにお薦めです。

本のあとがきには、このように書かれています。

飲酒の問題は、2013年に死去するまで、終生マニングを苦しめました。
マニングは、依存症についてだけでなく、数々の自分の失敗を隠さずに語ることを通して、弱さに満ちた私たちに対する、神の激しい愛と恵みを宣べ伝えました。
人生のどん底から語られるマニングの言葉には、教派を問わず、多くの共感が集まっています。 

自分の弱さを認め、神様に身を委ねることができる、それがわたしにとっての「心の貧しい人」です。