人のちから

『対話型生成AI(人工知能)を使ってキリスト教プロテスタントの教義に身近に触れ、質問できる、「プロテスタント教理問答ボット(カテキズムボット)」を開発』というニュース(2025/12/19)がありました。

なんとも現代らしい取り組みです。

https://mainichi.jp/articles/20251218/k00/00m/040/095000c

聖書(イエス様)の教えについて神父様に質問したり、信徒仲間で分かち合って考える、このプロセスはとても大切なことだと思っています。

(こんなことを書いていいかどうか分かりませんが)カテキズムに書いてあることが誰にとっても正解である、とは思えません。

先日、友人と「洗礼を受けることになったきっかけと経緯」について語り合いましたが、成人洗礼の秘跡(聖霊の働き)は本当に人それぞれです。

聖書を読まなくても、自分の信仰体験を通じて感じることがなくても、試行錯誤して頭を使わなくとも、AIに質問すれば「答え」らしきものをすぐに教えてもらえる、というのはこのカテキズムボットに限ったことではありません。

わたしは、先日家のインターネットがつながらなくなり、chat GPTに質問して解決策を教えてもらいました。
友人は、今冷蔵庫にある食材をchat GPTに伝えて、今夜の食事のメニューを考えてもらっているそうです。

カトリックの信仰、教会に興味を持った人が、「どういう教えなのだろう?」とAIに聞いてから判断する、なんてことは避けたいものです。

ここにこうして記事を書くときは、聖書を開き、何日もかけて推敲していますが、近い将来、AIに聖書について質問して書いてもらうようになるのかもしれませんが。。。

 

「ウクライナ戦争、ガザ紛争によって、人類は自分で戦争を終わらせることはできないことがはっきり分かった気がします。」
「ガザの子供を殺すイスラエルが悪いと断定する人が圧倒的に多い。
私もそうですが、そう断定したからと言って問題が解決するわけではありません。」

来住神父様がnoteに書いておられました。

2026年になったら、この二つの戦争は終わりを迎えるでしょうか。

神様に祈り続けたら戦争が終わるわけではありません。

そして、来住神父様が書いておられる通り、わたしたち人間は自分たちが始めた戦争を終わらせることが出来ない、という恐ろしい現実を突きつけられています。

AIに、「どうしたらこの戦争を終わらせることができるのでしょうか」と聞いてみたい気もします。

 

今年の締めくくりに、来住神父様がnoteで紹介されていた本を読んでいます。

まだ途中ですが、改めて、自分の正論が他者の正論ではないことを痛感させられます。

「アリヤー」はヘブライ語で「上がること」という意味で、イスラエルへの移住を指す。
それはイスラエルの国是として掲げられてきた言葉でもある。
神が「約束の地」としてユダヤ人に与えたこの地に住み、守り続けることで「神聖な信託」を守ろうとする試みだ。
イスラエルにとどまり、働き、戦うことはすべてのユダヤ人の義務であるという世界観。
それは国家と国民の「契約」にも反映されると考える。
だがその「安住の地」イスラエルから、少なからぬユダヤ人が去り、新たな「離散」を重ねようとしている。
(「イスラエル人の世界観」大治 朋子著より)

イスラエルの歴史とこれまでの苦難が民族に与えてきた影響、それによって形作られている彼らのアイデンティティを理解することが出来る、良書です。

 

 

今年、やり残したことはありませんか?
心に引っかかったままのことはありませんか?
できることならば、新しい年が来る前に済ませておきたいと思います。

 

来る年も今年のようでありますように。
あなたの上に、平安がありますように。
あなたとあなたの家、あなたのすべてのものに平和がありますように。
(サムエル上25・6)

良いお年をお迎えください。✝️